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【必読】今日から脚本家 番外編2(追記)

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番外編2で「これはやめとけ」を紹介しましたが、
書き漏れがあったので追記しておきます。

それは「当て書き」です。



■当て書き


何でこの項目が書き漏れていたかというと、
自分で当て書きをやった事がないから、でしょうか?

描きたい物語の構成要素として
当て書きを行う必然性があれば、技術として使ったかもしれませんが‥
これまでそんなケースは一度もありませんでした。



限られた人員、限られた期間で
必ず上演しなければならない ―


そんな条件下で確実性を求めるなら、
手段の候補として当て書きが挙がるのも当然でしょう。

それでも。

僕は推奨できる方法とも思っていません。



理由は明白。

「役者のために当て書きする」という行為は
裏を返せば
「脚本家が役者の上限を決める」ということ。

それは越権行為です。

その権限があったとしても、
役者の限界を設定するということは
そのまま脚本の限界を決めてしまう事と同義です。

役者も役者で
脚本家の押し付けの中でしか演じられなくなる。


当て書きすると世界が閉じる。
そして、閉じた世界には成長も未来もない。





そういう信念があるから、やらない。
というか、できない。

上演という義務を果たす最短ルートだと頭で判っていても
使う気にはなれないですね。
(演劇性を殺す演劇手法を使う訳にはいかない)

やるとすれば‥

・登場人物の人数や男女比を実情に合わせる
・年齢層を演技で無理なくカバーできる範囲に抑える


くらいですか。

まあ、そこまで。
あとは、役者と演出家を信じて
自分が書くべき物語を書きましょう。



当て書きは、
脚本家側も役者側もプロである事が前提の技法な訳で。
我々はアマチュアなのですから、
「当てる」という余計な制約を外して考えるべきなのです。


それとも‥
制約が多ければ多いほど面白いものが書けると
自分の力量を過大評価してたりしますか?
 

 

 

 

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【必読】今日から脚本家 番外編2

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脚本はこう書かなければならない
という決まりはないですが、
これはやめておいた方がいいんじゃないか?
は存在します。

以下に何点か挙げます。
かなりの個人的見解ですが、参考にしてください。



■自慢


これまで散々述べてきた「自己満足」と
似ているようで‥‥別次元の問題です。


この人はダンスが上手です
→ だから、ダンスのシーンを追加します

この人はバク転ができます
→ なので、ここでバク転を披露してもらいます

自宅におシャレな小物があります
→ じゃあ、それを舞台の目立つ場所に置きましょう

僕は高価な機材を持っています
→ これを使って斬新な演出をやってみました



脈絡もなく所持品や特技をひけらかす事を
自慢といいますが、これは止めておいた方がいいですね。


本人たちは
「よかれと思って」「より良くするために」
と考えているつもりなのでしょうが、
演劇という自己満足に更に自慢まで挟むのかよと
ゲンナリしてしまいます。

なくて済む、もしくは
削って問題ない場合がほとんどです。


ただの自慢なんだから必然性がない。
必然性のなさから生じる違和感に
気が付かないほどお客さんはバカじゃない。

そして、役者も演出家も脚本家も
その違和感をどうにか誤魔化せるほど優秀じゃない訳で。


自分の自慢話を
他人が喜んで聞いてくれると本気で信じているなら‥
まぁ、やればいいんじゃないですかね?




■新キャラ投入


漫画であれアニメであれ、
新しいキャラが投入されたら
面白さのピークを過ぎたサインと思ってよいでしょう。

初期メンバーやレギュラーメンバーだけでは
ネタ切れになっている、
話のクオリティを維持できない、
という状態に陥っているからです。

しかし、それもまぁ
連載100回200回や、
1クール2クールの毎週放送といった
長丁場においては仕方ない面もあります。

しかし、演劇のひと舞台、
たった2時間の中でそれをやってしまうのは
如何なものでしょうか?



何の伏線もなく、何の前触れもなく、
物語の終盤やラストシーンに新たな登場人物が追加される。
そうしないと物語を終わらせることができない。


もし本当にそうなら、
プロットの段階で既に失敗しています。
完成度の低さ、構成の甘さの証明に他なりません。

シェイクスピア作品などの群像劇で
よく見る手法のような印象を受けますが‥
(例:使者が駆け込んで吉報をもたらす → 王様大喜び → めでたしめでたし)
正直、見事とも巧妙だとも思えませんね。


物語は役者によって紡がれるのです。
脚本家が物語のために役者を使い捨てにするようでは
本末転倒もいいトコ。

プロットが不完全であるなら見直すべきです。




■替え歌


個人的主観が強くて恐縮ですが‥

僕はどうにも「替え歌」っていうのが苦手でして。
聞いててこっ恥ずかしくなりません?

テレビCMなどで耳にするたび、
あまりの恥ずかしさに身悶えするほど。

それを舞台の上でやられた日には‥
寒さに耐えきれず、発狂しそうになります。


こんな現象、僕だけでしょうか?



理論立てて分析するとすれば‥

まず、安易なんですよね。
お遊戯会やお別れ会の出し物レベル。
CMで聞いても、
「他にネタが思いつかなかったんだな」
「作詞作曲する金も手間も惜しんだのか」
といった印象しか残らない。
(替え歌をメインにした名CMってありましたっけ?)


そもそも、替え歌は本家(元ネタ)を越えられない。

替え歌に使いたいほどの名曲に
赤の他人が歌詞を上書きしただけで価値が高まるなら
創作活動に苦労なんかありません。

数少ない成功例の代表として
「ジャスコで万引き」がありますが、
これだって先頭1フレーズの破壊力だけですし。


替え歌やうんこおしっこで喜ぶのは小学生まで。
いや、昨今のマセっぷりを見るに、
もはや小学生でも喜ばない。

それを舞台の上でやるのは‥
どう考えても悪手としか思えません。



替え歌でないにしても、
「歌で問題解決」
「歌がストーリーの主軸」というパターンは
危なっかしいというか、賭けに近い部分があります。

日本でミュージカルが
演劇以上に定着していないという現状
を鑑みるに
(おそらく、やるにも観るにも日本人に向いていない)
よほどの勝算がない限り、
迂闊に手を出さない方が無難じゃないでしょうか?



以上、「これはやめとけ」三選でした。
 

 

 

 

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【必読】今日から脚本家 番外編(後半)

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物語は人の心を動かすために存在します。

感動、悲しみ、喜び、笑い、興奮、驚き、哀愁、怒り‥‥

視聴後に
何の感想も湧かなかったという結果を望む作家は稀でしょう。

そういった心の動きを発現させるには
物語に対して感情移入してもらわなければなりません。
そして、その感情移入に必要な要素。

それは「好感」です。




好感については、
外面の醜美が大きく関与します。

人は見た目が9割なんて本がありましたが、
僕に言わせれば9割どころか10割、あるいはそれ以上ですね。

美形は何をやってもうまくいく。
美形は何を言っても許される。


何故か?

周りがそうあってほしいと望んでいるから。


不細工は何をやってもうまくいかない。
不細工は何を言っても許されない。


何故か?

周りがそうあってほしいと望んでいるから。


良識ある大人は決して口にしませんが、

不細工に人権などない
不細工は人間扱いされない

「愛」の対義語である「無関心」が徹底して履行される ―


それはこの世の真理であり、
どんな美辞麗句で隠そうと、人間の内心とはそういうものなのです。



まあ、そんな醜男の恨み節はさておき。

問題は ―

その「真理」が創作の世界にまで適用されるということ。


視聴者から好感を得られていない状態で
ストーリーが進行すると、どうなるか?

どんな壮大な展開を用意してようとも、
作中のキャラクターや役者がどんなに頑張ろうと、
無関心であるが故に全てが上滑りすることでしょう。

成功しようが、挫折しようが、どうでもいい。
たとえ死のうが、どうでもいい。


目の前で本当に人が死んだのならともかく、
所詮はフィクションですからね。
フィクションな上に視聴者が無関心な状態では
「どうでもいい」以上の感情を引き起こすのは非常に困難です。





見た目の醜美以外にも、
登場人物に好感を持たせる方法はあります。


サラリーマンや学生など、身近な存在であること。
または、結婚、恋愛、友情、労働、嫁姑問題、介護など、
誰もが経験するであろう出来事をテーマにすること。
「共感」はそのまま「好感」に繋がります。



見た目が美しくないにしても、
個性的な風貌であること。
その他、性格や言動、あるいは口調などにも
魅力的な独自性があること。



正義であること。
もしくは真面目で礼儀正しく、心が強いこと。
これは現実に居たら
まず間違いなく好感を持たれる人物でしょう。
ただし、創作物の中の主役としては
ちょっと面白みに欠けるいい子ちゃんタイプになりがち。
アクのあるサブキャラや
ライバルキャラの方が人気が出る法則が発動します。

また、悪役であっても
一本筋が通っていたり、
振る舞いや行動理念を悪の美学と呼べるところまで洗練させれば
主役以上においしいキャラとなりうる可能性があります。



子供や小動物は、それだけで愛でる対象ですよね。



面白いこと。または破天荒であること。
小学校のクラスの人気者はそんな感じでしょう。



極度に貧乏であったり、不運であったり、
不治の病に冒されていたり、余命半年だったりすること。
自分より明らかに恵まれない境遇に対してなら、
視聴者は気前良く同情的になってくれます。




演劇であれば、
役者が知り合いだったり、親族だったりすること。
わざわざ劇場に足を運び、入場料を払ってくれるほど、
好感度MAXの状態でスタートします。
(演劇という文化が延命できてる理由はコレだと思います)





他にもいろいろあるでしょうが、
この辺に留めておきましょう。

言いたいのは、
好感を持ってもらうためには、キャラ設定の作り込みや
アイデアの投入がそれなりに必要になってくるという点です。


ただここで、キャラクターを美形にしておけば、
そういう苦労や手間暇をすっ飛ばして
容易に好感を持ってもらえるようになります。

キャラ設定に失敗した場合の保険にもなりますし、
魅力の上乗せ効果も期待できます。


全ては好感のため。
そして好感により感情移入を促すためです。



よって、
「何故、登場人物は美男美女ばかりなのか?」
という問いに対する回答例は

そうした方が感情移入しやすくなるから(18文字)

となります。




と、ここまでの論旨を踏まえた上で
我々脚本家がどう書き上げるか、ですよ。


喜劇であれ悲劇であれ、
壮大な物語の創作に心血注ぐのもよいでしょう。
物語そのものも重要です。

ただし、

登場人物が幸せになったとして、
果たして読者が一緒になって喜んでくれるか?

登場人物が不運に見舞われたとして、
果たして読者が一緒になって悲しんでくれるか?

この登場人物は読者に愛してもらえるか?


― 感情移入できる下地はできているか?


そういう面を考慮するのもまた大事ですし、
せっかくの物語を徒労に終わらせたくないのであれば
必須であるといえます。

「つまらない」と評価されたことがある人、
自分の作品の評判がイマイチだと感じている人は、
そういった観点で見直してみるのもひとつの手です。
 

 

 

 

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【必読】今日から脚本家 番外編(前半)

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番外編 登場人物はなぜ美男美女ばかりか?




テレビドラマ、映画などの主役や主要人物は
まず間違いなく美男美女の俳優で固められます。

アニメや漫画等の登場人物も
基本的には美少年、美少女のキャラクターで構成されてますね。

俳優の起用については
ジャ○ーズの圧力や事務所のゴリ押しで決まりますし、
創作物としての絵は
「そうした方が売れるから」という単純かつ明白な理由があります。


が、しかし。

それはあくまで商業面でのお話。



作品として、物語として、脚本として ―

何故、登場人物は美男美女ばかりなのか?
何故、世の中の創作物の大部分がそういう傾向にあるのか?



その問いに脚本家として答えることができますか?


20文字以内で回答を用意してみてください。

次回の番外編後半で答え合わせしてみましょう。



後半に続く。
 

 

 

 

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【必読】今日から脚本家 第7章(後半)

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第7章 後半です。



もう一つ挙げるとすれば、
『 みんなが主役 』 という一言。

これは僕の脚本の本質を突いてる、鋭い評価です。



みんなが主役 ―

といっても、もちろんこれは
「みんなが桃太郎」とかいう悪習の意味ではないです。


ストーリーを展開していく上で、
主軸となるキャラクターは当然必要になります。

そうなれば、必然的に出番も台詞も多くなる。
これは仕方がない。

ただ、僕は
登場人物の出番や台詞の割り振り、重要度が
なるだけフラットになるように心掛けています。




僕の脚本では、あからさまな脇役や端役は出てこない。

たとえ悪人でも
最後には改心するか、悪の美学を見せつけるか、
何らかの見せ場を用意する。

出番が少ないキャラは
その代わりに美味しいトコロを全部持っていく。

などなど。

なるだけフラットに、平等に
登場人物全員が当たり役となるように。




これは、
自分の書いた脚本に自分も出演しないといけない
という境遇だったのが関係あるかもしれない。

やりたくない役だったらヤだな‥

→ 全部当たり役にすればいいじゃん!


という超理論。

結果的にこれは正解だったし、
そうであるのが望ましい‥というか、健全な気がする。




高校演劇を観る機会があって‥
まあ、賞を獲るくらいの有名有力校らしいけど、
それを観て驚いた。

はい、君はこの役、貴方はあの役。

主役は主役であり、端役は端役。
悪人が悪人、感じの悪いまま終わる。

完全にあて書き、駒扱い。

教育の現場でそれをやるのかと驚愕したものだ。
(親御さんはアレを観てどう思うだろうね)


その例に限らず、
主役のための劇団、主役のための公演というのは
今の世であってもたびたび散見されます。

端役の役者はどんな思いで演じているのだろう?
どんな気持ちで主役を眺めているのだろう?


僕にはやはり
そういう状態はどうしても健全と思えないし‥
脚本としても不完全と言わざるを得ない。
(そういうしょうもないことは、プロにやらせておけばいい)



またあの人が主役だ ―

劇団内にありがちな、
そんな固定化されたヒエラルキーよりも‥


役を取り合い、切磋琢磨。
どんな結果になるかわからない配役発表に
ドキドキワクワク。
そんな中で始まる新たな挑戦。
挑戦の中で見つける新たな発見。


みんなが主役 ― だからこそ、

配役さえ面白い。配役から楽しめる。



脚本家の仕掛けは、
そこから既に始まっているのです。




第8章に続く。
 

 

 

 

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