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おおいた演劇同好会

大分演劇人のためのサークル。練習会の活動内容や練習風景を紹介!

【潜入レポ】 本日の活動報告(20191010)

潜入レポ

今日も稽古、というか初通しですね。

なるだけ役者がやりやすくなるよう、
早い段階から音を入れるようにしています。

なので、道具一式抱えて稽古場へ。


‥‥でも。

一番の大物が押入れの奥に眠ってるんだよなぁ。

次回稽古までには発掘しておきます(汗)

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演劇大学inおおいた(20191006)

潜入レポ

久し振りに演劇大学inおおいたの会合がありました。

長らく声が掛からなかったので、
いつの間にか中止になったのか‥
あるいは、よしりん除名の憂き目にあってしまったかと
あれこれ気を揉んでましたが‥

どうにかまだ籍は残っていたもよう。



僕が大分を離れている間にも
話は進んでたみたいですね。

資料から察するに、
大まかな筋道は立っている感じ。

ただ、これを具現化するとなると、
更なる議論を重ねないといけません。
次の会合がどうなるか‥
どんなメンバーでどんな激論が繰り広げられるのか
が楽しみです。

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【必読】今日から脚本家 番外編3

議論

番外編3 「カレーの法則」


「脚本家になる!」と決意し、実際に書き始めた時。
どういう風に心が動くかというと、

どんどん書いて上演しよう
たくさん書いて有名になろう


だと思います。
志の熱さと血の滾りがそうさせるはずです。


役者や演出家が
「興味があるから自分も一回だけやってみよう」
と手を出すパターンでもない限り、
一本書いたら満足ですというスタンスは、まずあり得ない。
例外といっていいでしょう。



自分の作品を世に多く出したい ―

そう願った時に、心情はどう流れるか。

「この設定で一本書こう」
「このキャラで一本書こう」
「この決め台詞でもう一本書けるな‥」


というように、
数に囚われるあまり、知らず知らずのうちに
節約志向や出し渋りの傾向になってしまいがちです。


アイデア一発勝負の短編ならそれでいいでしょうが、
長編脚本を執筆する上でのその流れは‥
誤りの始まりなのかもしれません。




同じ鍋一杯のカレーでも、
乏しい材料を水で薄めたようなシロモノと ―
豊富な材料を惜しみなく注ぎ込み、
煮込んで煮込んで、煮詰めて煮詰めて、
水気を飛ばして濃縮させた一皿と ―

どちらが美味しいかは明白。
脚本も同じです。

乏しいアイデアを無理矢理引き伸ばしたした2時間と、
持てる限りのアイデアを全て投入し、
融合させ、無駄を削って凝縮させた2時間。

さて、どちらが面白いか?
考えるまでもないですよね?


鍋にぶち込んだ具材が多いほど面白くなる。
何の捻りもなくて申し訳ないですが、
僕はこれをシンプルに「カレーの法則」と呼んでいます。

そして、この法則の適用は必須事項です。

面白いと感じる脚本は、
まず間違いなく多数のアイデアが投入されていますから。

まあ、中には‥
具だくさんの割に美味しくない失敗例もあったりしますが‥

それでも、その逆 ―
具をケチってるのに美味しいというパターンは絶対に存在しません。




「引き伸ばし」も技術のうちですが、
それはあくまで余技であって、
我々アマチュア脚本家の本懐はそんな所にはありません。

出し惜しみしないこと。
ひたすら丹念に練り上げていくこと。
そして、一つの作品として調和させること。

能率や効率を度外視した愚直さこそが
最短ルートであり、最適解です。


数をこなすためにはどうすればいいか?
そんなやり方はプロになってから考えればいい。



我々はプロじゃないんだから、一筆入魂あるのみ。
駄作を連発しても仕方がないですし‥
その労力を一作に注ぎ込むべきでしょう。

空虚な「数」を誇るより、
自分の代表作はコレですと胸を張れるものがあった方が
カッコよくはないですか?
 

 

 

 

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【潜入レポ】 本日の活動報告(20190923)

潜入レポ

今日から音響担当として稽古に参加です。

今期のこれまでのオファーをすべてお断りしている手前、
非常にご報告しづらいお話ですが‥

まぁ、音響なら何とか、という面もあります。


音響という仕事を軽く見ている訳ではないですが、
それでも演出や役者を引き受けるとなった場合に較べれば、
その重要性や負担は明らかに異なります。
(最悪、居なくとも稽古ができますので)


また、本件を引き受けるにあたって、
「稽古の出席日数を極力減らしたい」と事前に申し出ています。

そういう折衝は大事ですし‥
そうでもしなければ、
生活の合間に演劇をやっていくこと自体が不可能になりつつあります。
その点はどうかご理解いただきたい。



お断りしてしまった方々にはご宥恕を賜るとともに‥
不可能でなければなるだけ引き受けますので、
機会があれば是非またお声掛けをお願いしたいです。

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【必読】今日から脚本家 番外編2(追記)

議論

番外編2で「これはやめとけ」を紹介しましたが、
書き漏れがあったので追記しておきます。

それは「当て書き」です。



■当て書き


何でこの項目が書き漏れていたかというと、
自分で当て書きをやった事がないから、でしょうか?

描きたい物語の構成要素として
当て書きを行う必然性があれば、技術として使ったかもしれませんが‥
これまでそんなケースは一度もありませんでした。



限られた人員、限られた期間で
必ず上演しなければならない ―


そんな条件下で確実性を求めるなら、
手段の候補として当て書きが挙がるのも当然でしょう。

それでも。

僕は推奨できる方法とも思っていません。



理由は明白。

「役者のために当て書きする」という行為は
裏を返せば
「脚本家が役者の上限を決める」ということ。

それは越権行為です。

その権限があったとしても、
役者の限界を設定するということは
そのまま脚本の限界を決めてしまう事と同義です。

役者も役者で
脚本家の押し付けの中でしか演じられなくなる。


当て書きすると世界が閉じる。
そして、閉じた世界には成長も未来もない。





そういう信念があるから、やらない。
というか、できない。

上演という義務を果たす最短ルートだと頭で判っていても
使う気にはなれないですね。
(演劇性を殺す演劇手法を使う訳にはいかない)

やるとすれば‥

・登場人物の人数や男女比を実情に合わせる
・年齢層を演技で無理なくカバーできる範囲に抑える


くらいですか。

まあ、そこまで。
あとは、役者と演出家を信じて
自分が書くべき物語を書きましょう。



当て書きは、
脚本家側も役者側もプロである事が前提の技法な訳で。
我々はアマチュアなのですから、
「当てる」という余計な制約を外して考えるべきなのです。


それとも‥
制約が多ければ多いほど面白いものが書けると
自分の力量を過大評価してたりしますか?
 

 

 

 

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Author:よしりん@演劇同好会
よしりんアーカイブス別館です。
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