【観劇】教室に灯りの点る頃(2)
【 観劇】
その「アラ」とは何かというと‥
脚本ですね。
おおいた演劇の会さんのこれまでの公演で、
奇抜さや意外性に頼らない、
丁寧な脚本造りを続けてきた実績があります。
まあ、脚本は大丈夫だろう。心配はいらない ―
そう思っていたのに、今作では異様にアラが目立つ。
まさかこんなコラムを書く羽目になろうとは‥
正直、僕自身が驚いてるほどです。
では、どの辺が引っかかったかを見ていきましょう。
まず、序盤。
あからさまなヘイト稼ぎ。
「こんな施設は税金の無駄だ!」
「外人が増えると治安が悪くなる!」
「夜間中学」に対する
偏見や差別を描写する必要があったのは解ります。
しかし、あまりにも
雑というか、急というか、表現が稚拙というか‥。
更に、それに対するカウンターもあまり良くない。
反論を許さない立場からの一方的な物言いの事を
「説教」といいますが‥
日本人(客席のお前達)は、こんなにも利己的で差別主義なんだ!
と説教されているようで、はっきりいって不愉快。
(説教する側は気持ちいいんでしょうけどね)
このご時世に、それをウクライナ人役に言わせるのは卑怯過ぎるし、
「戦争被害者」という最強カード切られたら、あらゆる反論は完封される。
差別主義者のレッテルを貼られ、議論さえ許されない。
後半、どうにか盛り返したものの‥
もしこの空気が終盤まで続いたのであれば、退席していたかもしれない。
そのくらい危なっかしかったです。
付随して、そのヘイト役の扱いも雑。
劇中では悪者で、
観客からも嫌われ、
途中から出番もなく、
改心するといった見せ場や
大団円に向けての貢献もない。
何だ、この役?
ストーリーの為の使い捨てのような役は作るべきではない
という趣旨は以前、
どこかの高校演劇を鑑賞した際に述べたような気がします。
一体誰がやりたがるでしょうか?
「お前はこの役をやれ」と押し付けるのでしょうか?
演劇始めたいけど、
やりたくもない役をやらされるかもしれない ―
という印象を植え付けるのは、
巡り巡って演劇界の損失となりかねません。
戦争関連でいうと、
「蝉」というキーワードが出た瞬間、
ヤバイ!
と心拍数が跳ね上がりました。
蝉なきやまず ―
作品を越えたクロスオーバーやセルフオマージュは
作劇のテクニックとして確かに存在します。
存在はしますが‥
非常に繊細さを要求されるファクターです。
迂闊に手を出すべきではない。
本作では明らかにさじ加減を間違えてましたね。
セルフオマージュというよりは
セルフよいしょというか‥
ちょっと聞いてられない一幕でした。
軸がブレていたり、
インパクトがぼやけてる点が多いのも残念ですね。
例えば、主人公が「バンパイア」なのは凄くいい。
「ミイラ男」が出てくるもの面白い。
でも、そこまで。
そこまでという中途半端さ。
そこまでいったのなら、
劇中の登場人物全員に ―
それが難しいなら、夜間中学側の人物、
あるいは生徒達だけにでも ―
「オオカミ男」や「半魚人」「フランケン」など、
それぞれに二つ名とエピソードを用意して統一すべきでした。
それができないのであれば。
「バンパイア」と「ミイラ男」は別にセットでなきゃいけない訳でもないし‥
「バンパイア」一本に絞る。そうすればより話が締まるかと。
終盤もそうですね。
劇中で一年経ち‥
「そういえばAさんは?」
「死にました‥」
ああ、そうなんや‥
「じゃあ、Bさんは?」
「死にました‥」
お前もかい!!
‥と、ちょっとズッコケそうになりましたね。
「死」という重要かつ深刻な要素なのに、
それに対する衝撃が二倍に薄まってしまっています。
その上、「話の都合上、雑に死なせて処理した」という印象は拭えない。
ここも主軸を明確にするためにも、
「死別は一人」に絞るべきだったように思われます。
とまあ、いろいろ申し上げましたが‥
序盤の立ち上がりに上記のような不安はややあったものの、
後半は尻上がりに良くなっていったので非常に満足しております。
実によい拍手を導き出せていたのではないでしょうか?
公演全体で見ても
ここで述べた以外の不満はないと言い切ってもいいくらいです!
(あえて言えば、お見送りがなくて寂しかったな~とか?)
ここまで書いておいて、お招きがあるかは判りませんが‥
次回は第16回記念公演(?)ですかね。
今から期待しておきましょう! 皆様、お疲れ様でした!!
脚本ですね。
おおいた演劇の会さんのこれまでの公演で、
奇抜さや意外性に頼らない、
丁寧な脚本造りを続けてきた実績があります。
まあ、脚本は大丈夫だろう。心配はいらない ―
そう思っていたのに、今作では異様にアラが目立つ。
まさかこんなコラムを書く羽目になろうとは‥
正直、僕自身が驚いてるほどです。
では、どの辺が引っかかったかを見ていきましょう。
まず、序盤。
あからさまなヘイト稼ぎ。
「こんな施設は税金の無駄だ!」
「外人が増えると治安が悪くなる!」
「夜間中学」に対する
偏見や差別を描写する必要があったのは解ります。
しかし、あまりにも
雑というか、急というか、表現が稚拙というか‥。
更に、それに対するカウンターもあまり良くない。
反論を許さない立場からの一方的な物言いの事を
「説教」といいますが‥
日本人(客席のお前達)は、こんなにも利己的で差別主義なんだ!
と説教されているようで、はっきりいって不愉快。
(説教する側は気持ちいいんでしょうけどね)
このご時世に、それをウクライナ人役に言わせるのは卑怯過ぎるし、
「戦争被害者」という最強カード切られたら、あらゆる反論は完封される。
差別主義者のレッテルを貼られ、議論さえ許されない。
後半、どうにか盛り返したものの‥
もしこの空気が終盤まで続いたのであれば、退席していたかもしれない。
そのくらい危なっかしかったです。
付随して、そのヘイト役の扱いも雑。
劇中では悪者で、
観客からも嫌われ、
途中から出番もなく、
改心するといった見せ場や
大団円に向けての貢献もない。
何だ、この役?
ストーリーの為の使い捨てのような役は作るべきではない
という趣旨は以前、
どこかの高校演劇を鑑賞した際に述べたような気がします。
一体誰がやりたがるでしょうか?
「お前はこの役をやれ」と押し付けるのでしょうか?
演劇始めたいけど、
やりたくもない役をやらされるかもしれない ―
という印象を植え付けるのは、
巡り巡って演劇界の損失となりかねません。
戦争関連でいうと、
「蝉」というキーワードが出た瞬間、
ヤバイ!
と心拍数が跳ね上がりました。
蝉なきやまず ―
作品を越えたクロスオーバーやセルフオマージュは
作劇のテクニックとして確かに存在します。
存在はしますが‥
非常に繊細さを要求されるファクターです。
迂闊に手を出すべきではない。
本作では明らかにさじ加減を間違えてましたね。
セルフオマージュというよりは
セルフよいしょというか‥
ちょっと聞いてられない一幕でした。
軸がブレていたり、
インパクトがぼやけてる点が多いのも残念ですね。
例えば、主人公が「バンパイア」なのは凄くいい。
「ミイラ男」が出てくるもの面白い。
でも、そこまで。
そこまでという中途半端さ。
そこまでいったのなら、
劇中の登場人物全員に ―
それが難しいなら、夜間中学側の人物、
あるいは生徒達だけにでも ―
「オオカミ男」や「半魚人」「フランケン」など、
それぞれに二つ名とエピソードを用意して統一すべきでした。
それができないのであれば。
「バンパイア」と「ミイラ男」は別にセットでなきゃいけない訳でもないし‥
「バンパイア」一本に絞る。そうすればより話が締まるかと。
終盤もそうですね。
劇中で一年経ち‥
「そういえばAさんは?」
「死にました‥」
ああ、そうなんや‥
「じゃあ、Bさんは?」
「死にました‥」
お前もかい!!
‥と、ちょっとズッコケそうになりましたね。
「死」という重要かつ深刻な要素なのに、
それに対する衝撃が二倍に薄まってしまっています。
その上、「話の都合上、雑に死なせて処理した」という印象は拭えない。
ここも主軸を明確にするためにも、
「死別は一人」に絞るべきだったように思われます。
とまあ、いろいろ申し上げましたが‥
序盤の立ち上がりに上記のような不安はややあったものの、
後半は尻上がりに良くなっていったので非常に満足しております。
実によい拍手を導き出せていたのではないでしょうか?
公演全体で見ても
ここで述べた以外の不満はないと言い切ってもいいくらいです!
(あえて言えば、お見送りがなくて寂しかったな~とか?)
ここまで書いておいて、お招きがあるかは判りませんが‥
次回は第16回記念公演(?)ですかね。
今から期待しておきましょう! 皆様、お疲れ様でした!!
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